にじのひろば - 2010年9月掲載
愛すること、愛されることが「雅歌」をよんだときに、みるみると満たされてゆくようでした。言葉には表せないような見えなくてちいさな痛い悲しみも、そこにはあって、神様は何もかも知っている。私の気持ちよりもずっとず〜っと切実で、美しい、確かな変わらない神様の愛です。
こ〜んな素敵なラブストーリーに乗せてブブとミーミの絵本ができました。ふたりはなかよし、しあわせ。お互いムッとして、ののしり合うような時があろうとも…??たった一人のお方、イエス様を見上げれば、ひとつの愛に満たされて、やっぱりふたりは一緒なんだろうと思います。
「愛」がどんなに美しくて完璧なものかを私はまだよく知りません。でも神様がその愛のすべてを私達みんなに与えようとしていることを知りました。
加藤潤子
この絵本をめくりながら
絵本制作者 武市八十雄
長い間、私は旧約聖書を「神さまが私たち人間をはじめ、すべての自然のために、と 説かれた掟の諭し」だと思っていました。
とてもいかめしく力強いもの、それはまるで揺るがぬ岩山を見る想いー事実、私が四十年前訪れたあのガリラヤの力強い岩かげで思わず身を隠したことを思い出します。その折、思いがけなくやさしいやさしい風に包まれた実感…それがこの度、ブブとミーミを絵本の舞台へと連れてこられた加藤先生。よりによって、あの厳かな旧約聖書のなかで異色のやさしい気持ちの雅歌とは!なお半信半疑で繰り始めると加藤先生のあとがきにもあるように雅歌の全編を貫いて「なかよし なかよし」の甘美な気持ちに満たされてくるではありませんか。もちろん、この絵本は雅歌そのものの絵本ではありませんが、雅歌のあの美しい感動を故郷にした実りなのです。
ブブとミーミの言葉「みんな みんな きもちがいっしょ ほっか ほか」「み~んなひとつのこころ」をごく自然に、この絵本で幸せの妙味を味わえるのは、本当に私にとってやさしいその風でした。きっと皆さまも「わたしのブブ」「ぼくのミーミ」と、ごく自然に親しく呼び合える気持ちに共感されますね。
最後に、この絵本でさりげなく登場する羊飼いさんこそ、新約聖書で来たるべき救世主(メシア)としてこられるよき牧者ーイエスさまに他ならないことが、この絵本の故郷は雅歌であることの証だと感じていただければ幸いです。
「ひつじかいさん!かみさまは いつも わたしたちの こころのまんなかに、きてkれるんだね」私たちも、そよ風を感じながらブブとミーミといっしょのなかよしの世界にいたいですね。
※『にじのひろば』は、こどものせかいについている、おとうさま、おかあさま、先生がた向けの冊子です。絵本の作者による「絵本づくりの仕事場より」のほか、編集者の方などによる「この絵本をめくりながら」、エッセイ、詩などが綴られています。2020年度からは『ちいさなひろば』になっています。
絵本「なかよし なかよし ブブとミーミ」ご感想 〜 ありがとうございます!
久松英二 神父さま
2010年8月10日
至光社編集部にくださったお手紙より
とっくに夏休みに入り、うちの子どもたちもすっかり日焼けしています。そのお相手をする私も夏バテする暇もありません。さて、9月号がやってきました。加藤潤子先生のおなじみのアップリケみたいなかわいい子羊さんミーミの表紙を見て思わず「お久しぶり」と声をかけました。2007年7月号の名作「まいごのミーミ」以来ですから、約3年ぶりです。しかし、今回はミーミのなかよし友達「ブブ」が初登場。
テーマは「なかよし」。裏表紙にこの絵本が「雅歌」を下地にしていることが説明されています、「雅歌」は神とイスラエル、キリストと教会の愛の関係を歌っていますが、もともと男女の恋愛を歌ったものらしく、そういう意味で聖書もイキなことしますね。今回の絵本は、恋愛以前のともだち愛、幼い友愛として雅歌をアレンジしていますね。いつもながら、加藤先生の聖書のアレンジの見事さには驚かされます。しかし、これが単なる友愛のお話ではないとわかるのは、この愛が自然的な情愛の発露というより、そこにかみさまの愛が介在しているところにあります。お互いを愛することができるその根っこはかみさまがひとりひとりが「大好き」だという事実です。かみさまの愛は磁石のようです。磁石は鉄にくっつきます。すると、鉄にも磁石が移ってきて、みずからが磁石になり他の鉄をくっつけます。かみさまの愛という磁石をいただいたからこそ、わたしたちは他の人にくっつく愛を得ます。愛の磁石を頂いたもの同士に相互愛という磁石が生じます。「ふたりのこと だーすきなかみさまがいつもいっしょにいるんだもの!!」だから、ブブとミーミはいつまでもいつまでも「だいのなかよし」。かみさまの愛の磁石でいつまでもなかよし。このことを、最初と最後に出てくる「いのり」が伝えています。これを「いのり」と銘打っているのが素敵です。祈りはおねがいじゃなく、かみさまへの賛美。かみさまが愛してくださっていることへの感謝の賛美。これ、まさにほんものの「雅歌」です。
ところで、羊飼いはやはりイエスさま。よき羊飼いであるイエスであることはよくわかります。ここでは完全に脇役で、ほんとうにさりげなく登場していますが、かみさまの愛の象徴として、その存在感はすごいです。雅歌を下地にしてはいますが、「主はわれらのぼくしゃ。わたしはとぼしいことがない」で始まる詩篇23編をも彷彿とさせます。とぼしいことがなく、ぎゃくにあふれでるものがある。それが愛でしょう。あふれでる愛が互いに向かって、そこから大きなあふれができて、そこにでっかいハートができあがります。「きもちがいっしょ・ほっかほか」のハートができます。
とてもすばらしい作品、ありがとうございます。